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2012年9月の8件の記事

2012年9月27日 (木)

第280弾 ますます混沌とする政治の状況

280弾 ますます混沌とする政治状況

━ 民主・自民 どっちもどっち ━

9月26日に、開催された自民党の総裁選の模様を、余り見たくなかったが、無理して、テレビを見ていた。結果は、ご案内のとおり、安倍 晋三元首相が決選投票で、石破 茂前政調会長を破って、第25代自民党総裁に選出された。

 第1回目の投票では党員・党友による地方票(300票)で過半数を獲得した石破氏が1位に立った。だが、国会議員(198票)による再度の決選投票では安倍氏が108票を獲得し、89票の石破氏を破って逆転当選をした。

 この逆転・決選投票は、56年ぶりで、1956年の石橋湛山氏と岸信介氏の決選投票で石橋氏が逆転勝利して以来であるようである。

 地方票だけを取り上げると、石破氏が165票、安倍氏が87票と倍近く開いている。上位2人の決選は、国家議員のみで決めるように、規約等で決められているようであるが、これは、地方票を全く反映しないもので、違和感を憶えるのは私だけであろうか。

案の上、地方組織から「民意を反映していない。旧態依然の派閥が残り、野党転落で再生を誓った体質が変わってない」と反発。抗議のため、秋田の県連では、近くそろって辞任する考えを表明したという。

自民党内部のことだからどうでもよいといえば、そうであるが、敢えて、旧態依然と変わらぬ自民党の体質を指摘しておきたかっただけである。

安倍総裁には、タカ派とか、5年前、政権を投げ出した前代未聞の張本人とか、新自由主義的な政策が復活するのではないかとか警戒する声も上がっているようであるが。・・・果たして、どうなっていくであろうか?

━ 民主党もしかり ━

 民主党は、921日、臨時党大会を開催し、予測通り、7割近い支持を集め、圧倒多数で、野田 佳彦首相を代表に再選した。しかし、「離党予備軍」を抱え、民主党の衆議院過半数割れに危機感を募らせている。離党者の食い止めに必死である。離党を視野に、閣僚経験もある党外にあるベテラン議員らに繰り返し接触している中堅議員もいるという。

民主党の玉置議員(比例近畿)が、927日にも離党届を提出する意向を固めたと言われている。玉置氏が離党すれば、衆議院で民主党が過半数割れまであと5人になる。

この「離党予備軍」が、党内にまだ10人ぐらいはいるといわれ、“挙党態勢が不十分”と判断すれば、離党が加速する可能性があり、単独過半数割れは現実味を帯びている。

 現職の総理が支持を結集できない一点をみても、民主党は政党としての実体をなしてないといえるのではないか。あの政権交代あの夢は何処にいったのであろう。

 今の日本の置かれている困難な現状や問題をどうするかということよりも、既に、政界の関心は、衆議院選挙後の政権の枠組みの問題になっている。

 民主党にも、自民党にも、総裁選を通じて見えるのは、政党としての力の衰えである。

そういう隙間を狙って、”日本維新の会”が台風の目となっている。

 

  ━ 「溶解する政治」 ━

 

 

 918日に掲載された朝日新聞の「時事小言」の中で、国際政治学者の藤原 帰一さんが「溶解する政治」について、指摘されているので紹介をしたい。

「維新の会に吹く風は、民主党・自民党の空洞化と裏表の関係にある。実体は乏しくても、「既成政党」と違うだけで、政治の行き詰まりと時代閉塞を刷新する期待が集まり、維新の看板を掲げれば選挙に勝てると踏んだ議員が結集するわけだ。政党が溶け去った後の日本政治は、そよ風が吹くだけで雪崩が起きるほど壊れてしまった。

維新の会の隆盛は、政党政治の空白を表現している」と警鐘を鳴らしておられる。私は、この指摘は的を得ていると思う。改めて、新しく生まれる「日本維新の会」の問題については指摘をしたいと考えている。

 

<追記> ━ お詫び ━ 第279弾の「 歴史的事実をゆがめるな!!」の項で金 福童(キム ボットン)さんのことを敬称を略して掲載しました。改めてお詫びして訂正させていただきます。ごめんなさい。

2012年9月26日 (水)

第279弾 歴史的事実をゆがめるな!!

279弾 歴史的事実をゆがめるな!!

━ 橋下市長の“人権意識”は問われている ━

 報道によると、橋下市長は821日及び824日の記者会見で、日本軍「慰安婦」問題について、次のような発言をしたと言われている。

 橋下市長は竹島問題を巡る日韓関係の悪化の背景に「慰安婦」問題があるとし、「この問題に関する韓国との見解の違いは強制連行の事実なのか、「慰安婦」の存在自体が

問題なのか」と持論を展開し、そして、「強制連行が問題なら、軍に暴行脅迫を受けて連れてこられた証拠はない」・「証拠があるのなら(韓国側)で出してもらいたい」と述べたそうです。

 「歴代の首相が踏襲し、政府の公式見解になっている「河野談話」を否定し、見直すべきだ」と述べたそうです。

 「慰安婦」問題の存在を問題にするなら、戦争状態において「慰安婦」制度というのは、今から考えると倫理的に問題な制度なのか分からないけれども、「当時の時代背景にどうだったのかを議論しなければならない」と述べたそうです。

「慰安婦」被害者たちが訴えた裁判で事実認定されているにもかかわらず、「強制連行はなかった」という橋下市長には呆れ.開いた口が塞がりません。

924日に、従軍慰安婦問題に関する政府見解の見直しを求めている橋下市長に面会を求めて、はるばる韓国から飛行機に乗って“歴史”を証言しょうと、抗議に来られた金福童(キム・ボットン)は「すべて私が記憶している。証拠がないというのは妄言だ。」と抗議されたそうだが、

1週間前から、面会を申し入れていたが、会おうともせずに、橋下市長は、ツイッターで、「慰安婦は存在しました。戦争の不幸です。しかし日本国家が暴行脅迫拉致をしたという証拠はありません」と呟いたそうである。これがわれらの市長かと思うと情けなくて涙が出てくる。

━ 「河野談話」を何故否定するのか ? ━

日本軍「慰安婦」問題についての日本政府の公式の見解は、1993年の「河野官房長官談話」に基づく「軍の要請を受けた業者が主としてこれにあったが、その場合も甘言、強圧による等、本人の意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに荷担していたこともあった」というものです。「河野談話」は、当時の内閣官房外政審議室の調査結果です。従って、この談話は歴代首相が踏襲し、長年、日本政府の公式見解とされてきました。しかし、橋下市長は、この「河野談話」に疑念を呈するのみならず、具体的な根拠を示さず、「河野談話は見直しすべきだ」・「河野談話は最悪だ」とまで言っています。

 大阪市においても、201010月に、「日本軍慰安婦問題の早期解決に意見書」が採択され、「河野談話に矛盾しないよう、慰安婦問題の真相究明を行い、被害者の尊厳回復とともに、今なお存在する女性への暴力・人権侵害の解決に向け、誠実に対応されるよう強く要望する」との意見書を提出しています。橋下市長は、どう説明するというのでしょうか?自分とは全く関係ないとうそぶくのでしょうか?

━ 女性差別の最たるもの ━

 戦時下であろうと、なかろうと、女性を「性奴隷」とされることを容認するような橋下市長の発言は、これだけ酷い“女性差別”はない。信じることはできない。

橋下市長は、「慰安婦」制度があったのは戦時下で、軍隊が行ったことをもって「日本だけか」と正当化するような発言を行っていますが、「慰安婦」制度は、紛れもなく当時の国際法に違反しており、日本の刑法にも抵触する犯罪行為であり、戦時下であろうと、なかろうと許されるようなことではないことは言うまでもありません。これは女性差別の最たるものです。

 925日、橋下市長は「国家が強制連行をやった証拠はないことはしっかりとお伝えしながら、慰安婦の方の意見にも耳を傾けたい」と述べたと言われるが、なぜ、924日に面会を求めてきた金福童さんに会わなかったのか?私は納得できない。“公開”・“公開”討論を求める橋下市長だが・・・。

2012年9月21日 (金)

第278弾”文楽”の存続のために

278弾 ”文楽“の存続のために

━ 文楽側が「公開討論に応じる」決議を ━

 大阪市の文楽協会への補助金を巡り、橋下市長は「文楽の技芸員(演者)と公開の意見討論の場を設けなければ、補助金を全額カットする」と表明していた。そして、市側は10月中旬までに公開討論の目途が立たなければ1213年度の補助金を出さない方針を示していた。大阪市は今年度の補正予算で、文楽協会への補助金を昨年度比25%減の3,900万円計上していたが、思いどおりにしなければ、この補助金も打ち切るという“橋下流”兵糧攻めである。

 私は常々思うのだが、橋下市長は「討論により自己の主張を押しつけるだけでなく、人の意見を聞く寛容さ」を持つべきであると。無理だとは思うが。

 918日、文楽の技芸員(演者)は講演先の東京の国立劇場で総会を開催した。報道によると、この総会に技芸員の3分の2以上が参加したそうである。「補助金が一度打ち切られてしまうと復活は困難」との意見や、「タイムリミットが迫ってきている」との意見が出され、橋下市長が求める「公開討論」に応じることを決めたそうである。これにより、東京公演が終わる924日以降、市側と調整し、「公開討論」が行われることになるだろう。

 私は、もとより、公開討論の場が設定されるのであれば、文楽側も堂々と応じれば良いと考えていた。勿論、中身は複雑で、そう簡単に結論が出るとは思わないが、

演芸評論家の権藤 芳一さん(81歳)も「協会の改善など課題があるのは事実だ。しかし、文楽の価値も分かろうとしない人に、何をどう話したらいいのか分からない?」と言っておられる。

 あらかじめ、公開討論課題の設定 ━

 市側は、あらかじめ公開討論の課題として、

 協会が売り上げの中からマネジメント料を取る仕組みへの転換

 技芸員の収入の適正配分

 文楽振興の責任の所在 の3点を列挙している。これらに関して公開で討論すると見られるが、話し合いというものは、公開にしろ、非公開にしろ、あらかじめ一方的に条件とセットにされるべきものでないことは言うまでもない。

私には難しいことは分からないが、協会と技芸員の関係は相当複雑である。技芸員は「個人事業主」として協会に属するが、基本的には協会から収入を得ていない。協会から国立文楽劇場に派遣され、劇場から支払われる出演料が収入になっている仕組みになっているようである。

 協会が公演のマージンを取るのも協会だけでは決められない事情があるようだ。それは、国と大阪府、大阪市、NHKが出資を行っており、「協会の役割変更は国との協議も必要となるため、相当な時間を要す」という。相当難しい問題を内包していると思う。

毎日新聞913日社説で、「文楽のような伝統芸能は競争や市場原理にはなじまないし、完全なる黒字を求めることは難しい」とした上で、「運営税金が投入される以上、代に合った体制や運営を追求していく事が求められる」としたことに、橋下市長は、補助金を受ける上で義務についても触れたと評価しているようだが、これは、当たり前のことであり、これからの課題である。

「先手必勝の交渉力」・「先に問題提起をして自分のペースに持ち込む」というやり方は、確かに橋下流である。しかし、先述の毎日新聞・社説は、「互いが譲れる一致点を探って話し合いのテーブルにつき、意見を交わしてはどうか」と提言している。橋下市長が何故、「公開討論」にこだわるのか、私には理解できない。先日行われ大阪維新の会の第1回公開討論会みたいな事前に何度もすり合わせた「公開討論」もありましたよね。それでも、「公開討論」でというなら、私たちも注意深く見つめることにします。

公開討論に応じること決めた、技芸員のみなさん、「ファンのためにも市長と会うべき」と決断いただいたことに、私たちは応援しています。頑張ってください!!

2012年9月17日 (月)

第277弾 ━教育委員会制度廃止問題━

277弾 ━ 教育委員会制度の廃止問題 ━

━ 政治(首長)による教育への介入の道 ━

「維新八策」の中で、“教育改革”として、

格差を世代間で固定化させないために、最高の教育を限りなく無償で提供。

・文科省を頂点とするピラミッド型教育から地方分権型教育行政へ。

・教育行政機関主導から生徒・保護者主導へ。

・教育委員会制度の廃止論を含む抜本的改革。

・(レクチャー)首長に権限を持たせ、第三者機関で監視する制度。

・教育行政制度について自治体の選択制。

・学校を、校長を長とする普通の組織にする。

・(レクチャー)大学も含めた教育バウチャー制度の導入。

・生徒・保護者による学校選択の保障。

・(レクチャー)大阪教育基本条例をさらに発展、<議論>教職員組合の適正化。

 等を掲げている

  ここに掲げられている政策を網羅するものは、橋下流の「競争力の強化・競争に勝つこと」というキーワードで散りばめられている。

 「教育条例」を巡る議論の中でも、「規範意識、義務意識、自己責任意識、正義感、社会への感謝、愛国心、郷土愛」とともに、「世界の動向を注視し、激化する国際競争に迅速的に対応できる世界標準で競争力の高い人材を育てる」ことが強調されてきた。

  現に、大阪では橋下氏による“教育への政治介入”により、教育委員会制度は形骸化されている現実がある。

  ━ 教育が不安定なるのでは ━

教育委員会制度は、歴史的には、そもそも、「政治と教育」が一体となった過去の反省から、「政治的中立と多様な民意の反映」を目的に誕生したものである。教育に関する事は複数の住民代表が話し合いで決め、政治権力が教育を左右できない仕組みにとして作られたものである。

首長が交代するたびに、知事や市長が教育目標を定めるとしたら、教育に関する施策が変わり、教育が不安定になる可能性が生じることになることは目に見えている。改革するとしたら、時間をかけて論議される重要な案件である。

橋下氏や維新の会が、生徒と保護者を“教育の主人公”にしようというのであれば、その自主性に任されるべき体制にすべきではないか。

維新八策の「文科省を頂点とするピラミッド型教育行政を壊して地方分権型教育行政へ」と言うが、これでは、単に、「文科省ピラミッド」から「首長ピラミッド」体制に移行するだけである。実際、学校長は「橋下氏」・「首長」の顔ばかりうかがうことになる。それの顕著な例として、橋下氏が知事の時、民間から採用した府立高校の校長だが、卒業式の「君が代」斉唱時に教師の口元までチェックをしました。

これに、作家の赤川次郎氏が、「なんと醜悪の光景」と厳しく指摘しましたが、橋下氏は「ここまでチェックするのは、素晴らしい。校長の鏡のような“校長”だ」と絶賛しました。私は、絶望的な、悲しい思いをしましたが。そんなに言いなりの“ヒラメ”の校長を作って、どうして教育が良くなるのかと思ったのは、私だけでないと思います。

━ 教育を仕切るのは誰だ ━

2012917日、朝日新聞朝刊の「運営に市民、学校改善」という記事だが、

 教育を仕切るのは、国でも首長でもなく「市民」。そんな究極の選択をしたのがニュージーランドだ。23年前、100年以上続いた教育委員会制度を廃止。全国の公立小・中・高それぞれ設置した学校理事会に権限を移した。「現場に近い所で政策決定する方が効率的」というのが理由。苦しい国の財政事情が後押しをした。

[ 中略 ] ━

日本もニュージーランドのようになる日が来るのか?私は、こんな体制も検討をされてもよいのではないかと思うのだが。詳しくは記事をお読みください。

2012年9月13日 (木)

第276弾 フイーバーの後に残るもの

第276弾 フイーバー(Fever・熱狂)の後に残るもの

━ それは何時か来た道―危険な“独裁の道” ━

 2012年9月12日、大阪維新の会は、政治資金パーティーを開催し、大阪市内に本部を置く、国政政党「日本維新の会」の結党を正式に宣言した。次期衆議院選挙に向けて350人程度の擁立を目指し、候補者の公募も週内に開始するとした。

 パーティーでは、橋下氏は「これから日本のいくさが始まる。今日そのスタートを切る」とした。しかし、そこに、具体的な政策は明確に見えてこない。

9月9日に行われた「公開討論会」は橋下氏のワンマンぶりと、政策論議も未成熟のまま正当化に突き進んだ印象を進める結果になったのではないか(2012,9、12.朝日新聞社説と指摘する)が全くそのとおりである。

 確かに、演出もうまいし、弁舌も響くものがあるような雰囲気であるが、そこに落とし穴がある。それは、いつか来た道への回帰であるし、危険な独裁を許す素地がある道であることに、私たちは気づかなければならない。

━ 日本維新の会 劇場政治が懸念される ━

  2012年9月13日の北海道新聞の社説を、少し長くなるが、敢えて紹介したい。遥か離れた北海道からであるが、大変参考になる問題提起であると私は思う。

 「橋下徹大阪市長が率いるに瀕維新の会がきのう,結党を宣言した。

地域政党の大阪維新の会が現職国会議員らを迎えいれて、全国政党に衣替えした。次期衆議院に独自候補を大量に擁立する構えだ。

 メデイァを駆使し、既成政党とは違う“決める政治”をアピールする。だが掲げた政策は実現性を疑われるものが多い

 政策の中身も分からないまま、政治を白紙委任することはできない。党としての目標と、実現への具体的道筋を明示しなければならない。

 橋下氏は大阪府知事、大阪市長として教育委員会改革や職員評価の厳格化などを手がけた。政府や国会議員に働きかけて、東京都以外に特別区を認める「大阪都」法案の成立も実現させ、注目の存在だ。

 あえて敵をつくり攻撃する政治手法には批判も多い。大阪市職員の政治活動を調べるアンケートを実施したが、「思想・良心の自由」を脅かすおそれがあり、大阪府労働委員会が調査凍結を指示した。

 橋下氏は自らが招いた混乱について十分説明をしていない日本維新の会はきちんと政治責任を果たす党なのか、見極める必要がある。

 政権集「維新八策」に掲げた地方分権型国家の理念は理解できよう。だが消費税の地方税化などは都市部に有利で、地方は減収になるとされる。大阪目線の分権論議は、東京都と大阪の綱引きのようにも見える。

 首相公選制や参議院廃止など改憲を伴う政策には工程表がない。衆議院定数半減は、多様な民意の反映と、行政組織を率いる政務三役への人材確保の面に弱点がありそうだ。

 橋下氏は大阪市長と党首を兼務する考えだ。重要な国政課題を論じる国会の党首討論や与野党の党首会談は誰が担うのか。大阪から遠隔操作するのでは、責任の所在が明な二重権力構造を生むとになる

 先に開かれた公開討論会はこうした疑問に答えるものでなかった。環太平洋連携協定(TPP)や将来の原発政策をめぐり意見対立があったにもかかわらず、橋下氏は「価値観が一致した」と言い張った。

 国会議員を集めて国政政党化させたい維新の会と、橋下人気にあやかりたい国会議員の談合ではないか。理念がばらばらの「寄り合い所帯」なら政策の実現はおぼつかない。

 橋下氏の手法は小泉純一郎元首相の「劇場型政治」思い起こさせる。郵政民営化に反対する「抵抗勢力」を攻撃して「痛みを伴う改革」を進めた結果、格差社会が現れた。

 政治の停滞、社会の閉塞状況を改善する即効薬などない。そのことを有権者として肝に銘じたい。(北海道新聞 社説 20012.9.13)

2012年9月10日 (月)

第275弾 一体、何が起きるのか?

第275弾 一体、何が起きるのか?

━ 政治の世界は、一寸先は闇だ ━

最近、特にTVを見るのも、新聞を読むのも嫌で堪らなく思っているのは、私だけでないと思う。でも、私にとっては唯一の“情報源”である。見たり、読まなかったりしたら取り残される気がして、つい、眼が、耳が動いてしまう。

 昔、確か、社会評論家の大宅壮一さんが「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」と“一億総白痴化”ということを言われたことがある。本当にそうだったと思ったことが、しばしばある。

 今日は、新聞は「休刊日」である。日本の政治を巡る状況は、日々、混とんとしている。政治がどこの方向を向こうとしているのか、何がしたいのか分からないことが多い。これは全く私の個人的な思いであるが、“どうなっているのか?”について考えてみたい。当たるも八卦、当たらぬも八卦占いみたいのものでしかないが、私の思いを綴ってみたい。以下、政治家の名前については、敬称は省略させていただきたい。

━ 民主党は、なぜ、ここまで堕落したのか ━

 民主党の代表選は9月10日に告示され、21日投開票されることになっている。「選挙の顔」として登場しかけていた細野豪志の見送りにより、野田佳彦の再選は間違いないものになった。

「おちょこちょい」の原口一博が出馬表明をしているが、密かに橋下と会っていたり、「行革特命政権」や環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加反対などを掲げての出馬だが、到底及ばないのは目に見えている。また、山田正彦、赤松広隆も出馬を検討しているようだが、最低限の推薦人の確保がやっとであろう。

 野田佳彦の再選は確実視されるが、野田を待ち構えるものは、内的にも,外的にも、「前門の狼、後門の虎」である。政治的状況はあるとしても、何がしたくて、何をなすべきかさっぱり見えてこない。逆方向の政治ばかりである。たまらなく思っているのは私だけであろうか?

総選挙を行なえば、間違えなく自民党に抜かれ、政権から追われるのは目にみえている。党内には、松野頼久、石関貴史みたいな離党を目指しているものがごろごろしている。信条持たない数さへ多ければ良いという野合の集団である。私は、「政党の体」をなさない民主党には解党的な出直しを望みたい。

━ 自民党総裁選―大混乱 ━

 自民党の総裁選は、914日告示、26日に投開票がされることになっているが、候補者の一本化調整はことごとく破れ、6人が乱立しようとしている。現総裁・谷垣禎一と幹事長・石原伸晃の一本化調整は決裂、これは自民党史上、1978年の福田赳夫と大平正芳以来らしい。石破茂、元総理経験者の安倍晋三、町村信孝、林芳正も立候補票表明ないしはその意欲を示しているという。

 自民党総裁選の結果は、総選挙後の総理を狙う位置にあるだけに熾烈を極めている。私には誰がなっても同じという思いが強いが、・・・。

 世論調査によると、現在のところ、石破が1位 18,3%、石原が2位 17.9%、安倍が3位 の7.9% 、谷垣が4位 4,7% 以下続いているようである。また、比例代表の政党投票先は、自民党 22%、民主党 17%、維新の会 10% という結果のようである。

 今、突然入ってきたニュースで、谷垣は立候補を辞退することになったらしい。まさに、政治の一寸先は闇の世界である。

「日本維新の会」―具体性乏しい「船中八策」

 9月9日に行われた、維新の会の「公開討論会」が、TVで放映されていたが、これは明らかに予定調和的に仕組まれた“茶番・討論会”である、6時間近くも行われたようであるが、傍聴者も途中から半数近くが帰って行ってしまったらしい。「維新の会」は新党参加予定者の7人の国会議員とは、事前に何度も摺り合わせを行い、意思一致をしながら討論を行うやり方は、公開討論会とは言わず、「見せ掛けの討論会」である。だから、議論も伯仲せず、反対意見などでてこない仕組みである。マスコミでは、「有識者弁論会」と揶揄されるのも分かる気がする。

 現在のところは、橋下は、自分は立候補せず、市長にとどまることを宣言している。200万%を覆した過去を持つので、何時豹変するか分からない。

しかし、市長と兼務で国政は出来る仕事なのか。そんな甘いものでないことを思い知るであろう。「国と地方の税配分」を目指しぶつかり合うときどういう立場をとるのであろうか?

 「船中八策」には、政策として、統治機構の再構築、首相公選制、参議院の廃止の検討や衆議院議員定数の半減、消費税の地方税化、憲法改正発議の緩和等の項目が掲げられているが、具体的にどう実現をしていくかプロセスが明らかにされていない。この「船中八策」の先にどんな国家像・社会像があるかも語られていない。改めて、「船中八策」については、論議をしたい。

 日本維新の会は9月12日に、新党宣言を行う予定だが。9月3日に、維新の会府議団議員団会議では、十分、下部組織に説明がされていない不満が続出したが、どうなっているのと問いたい。「独裁」という言葉が頭をよぎる。

 

2012年9月 8日 (土)

第274弾 ”橋下流”-教祖の「教研集会」を拒否!!

274弾 “橋下流”━ 教組の「教研集会」を拒否!!

━ “表現・集会の自由”に対する侵害・挑戦 ━

 2012815日及び97日の朝日新聞に「教組の教研集会」の問題が大きく取り上げられた。これは、見逃すことのできない、「橋下流」の表現・集会の自由に対する重大な侵害・挑戦であることは言うまでもない。少し整理をしてみたいと思う。

━ これまでの経過 ━

 大阪市教組(以下「市教組」という)は、2012年98日~9日に行われる予定だった「教研集会」の場所として市立西九条小学校を借りる予定で申し入れていた。市教組の教研集会は40年以上も前から毎年9月、市立学校の教室を借りて開催してきた。今年は「障害児の進路保障」「東日本大震災」など9つの分科会で授業報告などを計画していた。

 しかし、2012年に成立した「労使関係に関する条例」に基づき「労働組合活動に関する便宜供与は行わない」との条文を根拠に、2012年8月7日に、大阪市は、市教組に対して「学校使用願は労使条例に基づき不許可にする」という不当にも、文書通告をした。

 当然のことながら、2012814日、市教組は会場の使用許可を求めて、大阪地裁に提訴した。そして、市教組は学校の使用許可を仮に義務付ける「使用許可」の命令を出すように申し立てたが。

 大阪地裁は、2012828日、代替施設で分科会の開催は可能として、この市教組の申し立てを却下する決定をした。

 教研集会は、201298日~9日にかけて、場所を変えて、大阪市中央区の府立労働センターで開かれることになった。明日から活発な議論が成功裡にされると私は思うし、この不許可問題は大きく議論とされると思う。

━ 「教育研究集会」とは ━

 教職員らが日ごろの教育実践の成果を発揮する場。日本教職員組合(日教組)と全日本教職員組合(全教)がそれぞれ年1回、地方の優れた報告を集めた全国教研を開いている。

 1980年代後半から、右翼団体が会場付近で街宣することなどを理由に会場側が使用を拒否する事態が頻発、各地で裁判に発展した。

 大阪市教組も、40年以上前から毎年9月、市立学校の教室を無料で借りて開催。近年は教諭ら300人~400人が参加して授業や生徒のあり方を学び合ってきたという。また、「研修には非組合員や地域の人たちも参加している」という。(朝日新聞815日、97日朝刊から引用)

━ 最高裁の判例から学べ ━

 

橋下市長は、あなたも弁護士なのだから、2006年27日に、“組合”に学校を貸さなかった“広島県呉市市教委の判断”を妥当でないとした「最高裁の判例」を、もう一度、読みなおしてみてほしい。

 立命館大学の市川正人教授は「学校を貸しだすかどうかの裁量権は教育委員会にあるとしても、最高裁の判例は、集会の内容や過去の経緯などを総合的に考慮して判断することを求めている。小学校は教育施設だが、長らく教研集会の会場として使っていれば表現活動に開かれた場として見ることができ、組合との正常化だけを理由に、それ自体弊害をもたらさない研究活動のための貸し出しを拒否するのは憲法上も表現の自由の侵害になるのではないか」と指摘する。

 この最高裁の判決は「教研集会は教員の自主的研修という側面があり、学校の目的に合致している」として「使用を認めるべきだ」との判断がなされたものであるということを理解すべきである。

 教育研究集会は、教員らの自主的研修としての側面を持っている。

 これまでの教育研究集会は、学校施設が使われてきた経過がある。

 右翼団体による具体的な妨害は認められず、集会自体は休校日である土・日曜日に行われたこと。

 教育研究集会の要綱などの学習指導要綱等に対して批判的な内容の記載は存在するが、いずれも抽象的な表現にとどまり、それらが自主的な研修の側面を大きくしのぐほどのものではない。

 等々、述べられている。

 朝日新聞の取材記者が言っているように、「学校で教研集会」を認めないということは、教職員が自主的に集まり、互いに研鑽する場の剥奪であり、表現の自由・集会の自由の侵害である。全くそのとおりである。

(追記)今日は、お通夜に行ってきた。悲しいお知らせだが、Y.Mさんの奥さんが逝去された。心からご冥福を祈りたい。

2012年9月 4日 (火)

第273弾 何故、維新の会、安倍元首相に「秋波」を!!

273弾 何故、維新の会,安倍元首相に「秋波」を 

― 政策も理念も違う安倍元首相を担ごうとする矛盾 ━

 AERA,2013年9月3日号によると、「大阪維新」の会・松井一郎大阪府幹事長は、今年の4月から、接触を重ね、安倍元首相にたいして、「僕らを利用して、日本を変えてください」と、離党して「維新の会」に合流するように求めていたという。

 安倍氏は固辞したものの、「橋下氏や“維新の会”は日本を変えるパワーを持っている」と連携に前向きを表明したという。

 この裏話には、今年の2月に大阪市で行われた「教育シンポジウム」に安倍氏と松井氏が出席していた。終了後、会場近くでの「懇親会」で、たまたま、維新の会の幹部が「自分たちは大阪で、安倍内閣のやろうとした“改革”を成し遂げようとしています。その証拠に、安倍内閣の改革に携わった官僚を引き抜いているでしょう」と安倍氏に告白したという。

確かに、実際、橋下氏のもとには元財務官僚の高橋洋一氏や、元経産官僚の原英史氏、古賀茂明氏ら安倍内閣の構造改革路線を支えた元官僚が参集しているのは事実であるが、 安倍氏は「そうなのか」とうなずき、感激したという。両者は完全意気投合したそうだ。そんな飲み席で、大切な「政策」も「理念」も違うのに単純な「野合」があっていいものであろうか?

安倍氏が、大阪維新の「船中八策」政策に賛同しているというなら、そう明らかにすべきである。例えば、一例だが、大阪維新の会は「脱原発」の立場だと思うが、安倍氏は、山口県知事選で、山本繁太郎氏を推薦した「原発推進派」である。そんな大きな違いがあるのに野合ができるのであろうか?私には理解出来ない。きつね(橋下氏)とたぬき(渡辺氏)の化かしあいかもしれない。

そういえば、みんなの党が「政策は、ほぼ同じだ」として熱い秋波を送り続け、大阪市長選のときは、何度も渡辺代表は応援にかけつけ、“ラブコール”・密月を発信続けていたはずだが、現在では、みんなの党とは喧嘩別れ状態になっている現状である。

政治の世界は「一寸先は闇だ」と言われるが、穿った見方をすれば、安倍元首相は「維新と話ができる」ということを武器に、自民党の総裁選に立候補し、あわよくば、総選挙後、再び、総理の座を手にしようとしているのであろうか。

━ 大阪維新の会、「国政政党」の立ち上げ宣言 ━

 大阪維新の会は、201298日に、「国政への進出」について同会の全体会議で正式に決定する予定、99日に「公開討論会」を開き現職議員らとの合流の可否を判断する構え、そして、12日に政治資金パーティーを行い、「国政政党」の立ち上げを正式に表明する見通しとなった。

99日行われる、この討論会には、民主党の松野頼久元官房長官(鳩山由紀夫総理時代)、同じく民主党の石関貴志議員(群馬2)、自民党の松浪健太郎議員、みんなの党の上野宏史議員、小熊慎司議員、桜内文城議員が合流するそうである。無所属の横粂勝士議員も自民党の谷畑孝議員も合流を検討しているそうである。この討論会には、維新の会のブレーンの上山信一慶応大学教授、堺屋太一元経済企画庁長官らが審査員として立ち会うほか、河村たかし名古屋市長、大村秀章愛知県知事、東国原英夫前宮崎県知事も参加する予定らしい。

しかし、大阪維新の会の足元では、大きな不満が噴出しているという。93日行われた、大阪維新の会の大阪府府議会議員団総会では、この国政進出の準備を加速させている執行部の方針に対して、十分な説明がされてないと不満が続出したそうである。

この公開討論会についても、「いったい誰が決めたのか」、「国政なんてやめればいい」と怒りの声があがったそうである。そして、「もともと大阪都構想を実現する目的で集まったのに、いつのまにか国政になっている」というような指摘もあったそうである。

橋下氏と松井氏の二人三脚の足元の危うさに、私は先行きの危険さを感じるのだが。

政権交代への幻滅が、既成政党に対する嫌悪感が、無党派層を増幅し、もうどうすることもできないところまで来ているのではないか。このことが新しい政党の登場する可能性を広げている原因ではないか。しかし、諦めてはならない。

民主党には目先ではなく、国民の声を聞き、「経済より生活を重視し、格差解消と平等を求める原点」を再確認し、解党的出直しを求めたい。まもなく開始される民主党代表選はいい機会である。理念・政策をとことん論じ、これからの有り様を論じて欲しいと私は願う。

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